THE REVEL BRATS

徳島に帰ってすぐにインターネットのメンバー募集掲示板で知り合った人に会いにいき、便利な世の中になったことを実感する

VoGt.後藤、Dr.津守に会い話をしてみると、2人ともライブ経験はないものの人間的にいい人達だと感じたのでTHE REVEL BRATSに加入することを決定する

ジャンルはヤンキーロック(俺が勝手にイメージで命名)で、横道坊主やTHE STREET BEATSを勝手に兄貴と崇拝するバンドだったが、それよりも驚いたのは練習場所がVoGt.後藤の家だということ
10畳以上はある部屋の半分にアンプやドラムセットを置き、残りの半分にテレビやコタツが置いてあるというある種夢のような場所である
比較的田舎の方で民家が少ないといえ、近所の方からは了承をとっての練習だったためか、練習中に近所のおばちゃんが見に来るということもあった

2人の技術もある程度上達し、曲もたまってきたので、初ライブをジッターバグで行う が、お客さんが終始体育座りをしての観戦という文化祭的なノリに危機感を抱き、最初の目標をお客さんを立たせることとする
以外にも2回目のライブからは特に何もせずとも立っての観戦となり、じょじょにではあるがお客さんも付いてくる

ライブをこなしてお客さんを増やしていき、そのうちブッキングだけではなく自分達でイベントを企画するようになる
今度の目標は徳島の音楽を活性化させるということにするが、今思えば大それた目標であった

あるライブの時にVoGt.後藤とシールドがからまってしまい、演奏中にもかかわらずシールドを引っこ抜くという愚挙をおこす
音がなくなる、アンプや楽器に多大な負荷をかけるなど、はっきり言って最低の行為ではあったが、それでも一応は冷静に対処し、何事もなかったかのように再び演奏を再開したのがよかったのか、お客さんやスタッフの人に行動を評価される(それでも最低の行為)
バンド活動以外にも個人的に後輩の指導にあたったり、ベーシストだけの勉強会を開いたりし、意外なほどのスムーズさで目標を達成できるかと思われたが、ある日の練習予定日にあるメンバーが高熱を出したという理由で練習を中止したにも関わらず、その日の内にお客さんと遊びに出かけるという、俺的に全く納得の出来ない行動を起こした為、THE REVEL BRATSを脱退する

その後、ライブで知り合い、お互いに一緒にやりたいと思っていた人とバンドを組むが、徳島の音楽人口の少なさと活動をしていく上での不便さに悩んだ結果、再び大阪に上阪することとなる


THE REBEL BRATS

VoGt.後藤
Dr.津守