NOOK

CHILD LOOPを脱退してから数日後、専門学校の強制合宿のときに組んだバンドのDr.須田からミクスチャーバンド結成のお誘いがくる
しかし、今までミクスチャーというのを弾いたこともなければ聴いたこともなかったので躊躇していたら、Dr.須田から「楕円形のリズムをやろう」と言われ、その言葉がやけに気に入り参加を承諾

この時Dr.須田は、俺が新しく移り住んだマンションの近くの楽器やでたまたま働いており、その楽器屋に暇があれば遊びにいくようなる

他のメンバーは既に決まっており、Dr.須田と同じ楽器屋で働いていたGt.長瀬、同じ専門学校卒のVo.山田というメンバーでNOOKは結成される

何故か初顔合わせのスタジオの時には、曲もまったく出来上がっていないにも関わらず、1ヶ月後に初ライブが決まっているという状態だった
しかもそれが正月真っ只中の1月3日(日本語的にはどうなんやろ?)に神戸チキンジョージ
イベントだったので持ち時間も通常よりは少なく、3曲あればなんとか格好はつくとはいえ、初めてやるジャンルに悪戦苦闘しながらなんとかライブまでに間に合わせた(大晦日、元旦ももちろんスタジオ)

イベント当日、着物姿の女の子を見ながら重い機材を持って移動するのは、「なんで正月やのにこんな物を持って…」っていう思いと、「正月からライブが出来る」といううれしさが入りまじった不思議な気分だった
そして自分たちの出番が来る直前、何故か頭痛と吐き気が襲ってくる
そのまま自分たちのステージが始まってしまい、フラフラになり冷や汗をかきながら演奏するハメに
が、さらに何故かこれが功を奏し、不思議な雰囲気が出てよかったという評価をもらう(後日映像を見たが、通常の状態の俺では真似出来ない動きをしてた)
そして、イベントの打ち上げの2次会で言ったバーのマスターから「本当に格好のいい人間は流行りに流されない自分自身のスタイルを持っている」という言葉を聞き、異様に感動して初ライブは終了する

初ライブ後、三国ヶ丘FUZZでライブをするが、このライブをもってVo.山田が脱退する

Vo不在となり活動停止となったが、俺とDr.須田は他のバンドのGtとVoの人と共謀して、ミッシェル・ガン・エレファントの即席コピーバンドをつくり、ライブジャックをして楽しむ

このすぐ後、放送コードに引っかかりすぎるあだ名のVoが加入し、さらに放送コードに引っかかる案を次のライブで実行する(このライブはかなり盛り上がった)
この事自体はどちらかというと好意的に受け止められたが、全く関係ないところで問題が起こってしまい、NOOKは解散することに

ライブ回数3回と短命なバンドではあったが、このバンドに加入したおかげで「本気で遊ぶ」ということを覚え、それが後のベーススタイルにも影響することとなる


NOOK
Vo.山田
Gt.長瀬
Dr.須田
2代目Vo.ピーーーー


NOOK解散後、自分の音楽の狭さを痛感した俺は「とにかくいろんなバンドに参加してレベルアップを計ろう」と思い、かたっぱしからバンドに参加していく
しかしやりすぎてしまい、この頃の記憶があまりない状態になってしまうが、臨機応変な心を身につける
ちなみにこの頃の口癖は「1週間に20曲覚えなあかん…」だった