BE FREE JAM

合宿で組んだバンドの解散後、Gt.江草と新しくバンドを組もうという話になり、Gt.江草の高校時代の友人であり同じ専門学校に通っているDr.金井が加入。
さてVoをどうしようかと考えている時に、JACK-O-LANTANのVo.岡本から連絡が入り「実は大阪の音楽専門学校(俺のとことは違う)に通ってる、メンバーを探している」ということを聞きこのバンドに誘う。
こうしてBE FREE JAMが結成されたがVo.岡本が音信不通となりイラツつく(後日肺炎で入院したと聞く)。

夏休みに入っても学校のスタジオでGt.江草、Dr.金井と練習していたら、ある先輩バンドの方に加入を誘われるが、Vo.岡本が入院中で活動できないとはいえ、BE FREE JAMを結成してすぐだったので断る(この先輩バンドは数年後メジャーデビューするメロコアバンドだった)。

さらにこの夏休みは重大な出来事があった。
スタジオが終わってGt.江草、Dr.金井、Gt.江草の友人とロビーでまったりとしていたら担任が話しかけてきた。

担「お前ら暇か?」
皆「まぁ暇」
担「ほな、ちょっとおいで。1時間後にRECルームに集合」
皆「はぁ?」

で、RECルームにいってみると何故か講師陣と怪しげなおっさんが待ち構えていた。
なんだかよく分からないが、とりあえず即興で5分ぐらい演奏してみる。
演奏終了後、怪しげなおっさんから一人一人にアドバイスをもらい、この日は解散。
そしてこの出来事を忘れかけていた頃、担任から俺だけがオーディションに受かったと告げられる。
そもそもオーディションであったことを知らされてなかった俺は、何のことやら分けわからん状態。
とりあえず担任に教えられた事務所を訪ねると、こないだの怪しげなおっさんが…
この時初めて、あれがオーディションであったことを知る。
話を聞くと、Z○○Dのバックで弾く人間を若い奴で探していたということ、俺は技術はまだまだやけど弾いてる姿が良かったということ等を聞く。
が、何を血迷ったのかBE FREE JAMをやりたいからと、この話を断る俺。
今になって、どちらかの話を承諾していればと思うが後悔先に立たず…

秋になってやっとBE FREE JAMが本格的に動き出し、大阪アムホールを中心に月1のペースでライブをこなしていきながら、イベントや城天などにも出場してゆく。
このバンドではロックポップのオリジナルをやってゆき、俺自身も作詞作曲を手がけ、特に作詞の楽しさに目覚める。

専門1年目の冬、生涯の相棒と呼べる赤色ベースのルシーダさんと出会い購入。
この出会いが俺の技術を1段階引き上げることとなる。

専門2年目の春にはエイズ撲滅のチャリティーコンサートのオーディションに合格し、IMPホール出演を果たすが、キャパが何百人という規模の場所でやるのは初めてだったので多少気圧される(ステージから見た客席はまさに壁のようであった)。

バンドが波に乗るにつれ学校には行かなくなりつつあり、2年前期のクラス分けでは出席率の悪さから最低クラスに落とされる(俺の他にも結構いた)屈辱を味わう。
さらに就職適性検査で俺、Gt.江草、Dr.金井が最低評価をもらい、バンドを成功させるしかないと決意する。

しかし人間関係の悪化により、初めてのレコーディングを終え、正にこれからという時の専門2年目の夏、BE FREE JAMは解散する。


BE FREE JAM
Vo.岡本
Gt.江草
Dr.金井